相楽木綿(さがなかもめん)の機織り教室や夏休みの子供向けワークショップ(糸紡ぎと機織り)などを運営されている「相楽木綿伝承館」(代表:福岡佐江子さん)の活動を通して相楽木綿の魅力を紹介します。
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私が織物に携わるようになって20年近くなりますが、そのきっかけは相楽木綿との出会いから始まりました。今思い返しても本当に不思議なご縁からですが、何かに導かれるように、すべての出会いが今日の「相楽木綿の復元と伝承活動」に繋がっているように思います。
相楽木綿を復元するという目的で、まず織物を学ぶためもう一度大学に行きました。
そこで、人間が自然のものを取り入れて自らの生活に役立ててきた織物文化というものに魅せられて、もっと深く、もっと広く織物を追及したいと、色々な繊維や技法を学んできました。織物の素材から研究したいと綿の栽培からはじめることになり、その手紡ぎの糸を風合い良く織りたいということから、大和機に出会いました。
大和機は、江戸時代から大和地方を中心に使われていた傾斜高機で、風合いの良い織物が製織できる機といわれています。全国的に有名な「奈良晒」や「大和木綿」もこの機が使われており、奈良に隣接する相楽郡でも同じ大和機が使われていました。
そして、2004年に京都府立山城郷土資料館で開催された「相楽木綿展」のお手伝いをすることになり、その相楽木綿の織機もまさしく「大和機」だったのです。
翌年から、同館友の会サークルとして「相楽木綿の会」を立ち上げ本格的に現存資料調査、聞き取り調査を行い研究してまいりますと、歴史的背景や特徴、技法等すばらしいものがいっぱいあることが分かりました。
ただ一人の伝承者(99歳)による直伝の絣括り、調査研究をして解明できた緯絣の設定、絣ずらしの方法、別建てによる経絣技法など合理的で特徴的な技法、特に工夫絣は全国的に見てもこの地域独特のものです。大和機やチョンコ機(大和機の改良機で大正期から導入される)の製織技術(織りこなし)など全国的にもめずらしい、すばらしい織物であることを再認識しました。まさに先人の知恵、工夫が詰まった織物の魅力を感じるものでした。
そして、それは、江戸時代から奈良晒を生産していたという高度な製織技術と、南山城という京都の文化も奈良の文化も併せ持つ独特の地域の魅力が背景にあると思われます。
小さな産地の相楽木綿でしたが、そこには西陣の縞も、奈良晒の大和機を織り熟す技術も併せ持ち、いち早く紡績糸を用い、化学染料を使用して庶民が使う木綿でさえ洗練された縞、柄行きを意図を凝らして作り上げていったという、都のお膝元ならではの魅力が感じられました。
このような相楽木綿を多くの方に知っていただき、また使っていただくことで、伝統的であるが現在に生きる文化として相楽木綿を次の世代につなげていきたいと思っています。
そして、相楽木綿の活動を通して、先人の知恵や工夫を感じ未来に残すべき大切なものを伝えていきたいと願っています。
相楽木綿は、明治初期から昭和10年代にかけて、京都府南部の相楽村(現木津川市相楽)を中心に生産されていた手織り木綿です。
南山城地域は江戸時代から木津川沿いで綿が栽培され、明治初期まで地域の代表的な産物で自給用に木綿織物が織られていました。
また、隣接する奈良の特産品である高級麻織物「奈良晒(ならざらし)」の生産も行われていました。明治時代になり武士がいなくなったなどの影響で奈良晒の需要が少なくなり、多くの織屋は麻蚊帳の生産へと転換しました。しかし相楽村の織屋木綿織物の方に転換しました。原料糸の購入、柄デザイン、整経、ちきりまきは織屋が行い(藍染は木津の紺屋)、製織は引き続き相楽村や周辺農家の女性に賃織りしてもらいました。
相楽の織屋が織った木綿はいつしか「相楽(さがなか)木綿(もめん)」と呼ばれ、南山城をはじめ、奈良、京都、滋賀、大阪などに流通し庶民の着物として愛用されていました。
木津川市は今も麻蚊帳から転換した襖地の全国一の産地ですが、相楽木綿も江戸時代から現在まで続く、丹後、京都と並ぶ相楽郡という織物産地の歴史の中で生まれたことを知っていただけたらと思います。
南山城の古老から、「相楽木綿」は上等な木綿なので、嫁入りのときに買ってもらったというお話をよく聞きました。
相楽木綿は、無地、縞、絣と種類は多いですが、特徴の一つは絣と色糸を多く使っていることです。縞と縞の間に絣が使われていたり、「たっちょこがすり」と呼ばれていた色糸縞と経緯(たてよこ)絣(がすり)の組み合わせや、緯絣だけで文様を作り出す全国的にもめずらしい「工夫(くふう)絣(がすり)」など、柄に多様で細かい工夫が見られます。
もう一つの特徴が「大和機」という機で織られたということです。この機は奈良晒を織った機として大和と南山城でよく使われました。傾斜高機といわれるこの機は暖張力で織る機で、織手の能力が問われる織りにくい機ですが、風合いの良い布が織れるといわれています。
大正時代からは「大和機」の改良機である「ちょんこ機」がつかわれました。明治から戦前を通じて相楽郡が、京都府下で手織り絣木綿の生産高は1位でした。そして織物産地が大量生産に向けて力織機を導入する中、最後まで味わいのある手織り木綿の生産をつづけました。
相楽木綿の会は、2004年の京都府立山城郷土資料館の「相楽木綿」展をきっかけとして、翌2005年に、相楽木綿の復元と伝承を目的に同館友の会サークルとして発足しました。
布や技術の復元活動を通して、相楽木綿の特徴や技法が全国的にもめずらしく、すばらしいものだということを認識しました。そして是非この木綿を地域に残る伝統として伝えていきたいと強く思うようになりました。
2008年、京都府の地域力再生の取り組み、「京のチカラ、明日のチカラコンクール」で優秀賞を受賞し、それを機に翌2009年に京都府の支援を受けて「相楽木綿伝承館」をオープンしました。
相楽木綿伝承館では、相楽木綿や機道具の常設展示、綿繰り、綿打ち体験や、機織りや糸紡ぎの実演をご覧いただくことができます。
また、コースター織体験、ちょんこ機織体験、糸紡ぎ教室、夏休みの子供向けワークショップ(糸紡ぎと機織り)等体験教室を開催し、もの作りの楽しさや、地域の文化を伝えていく活動を行っています。
2010年から開講した機織り教室も、初級コース、中級コース、上級コース、専科、研究科と順調に進めることができ、織物の楽しさを体感してもらうと同時に本格的な復元と伝承者育成にも取り組んでいます。
2015年には、これらの活動に対して公益財団法人衣笠繊維研究所より「繊維教育賞」をいただきました。
◇相楽木綿伝承館◇
けいはんな記念公園内 水景園観月楼地階
京都府相楽郡精華町精華台6-1
URL:http://www.geocities.jp/saganakamomen/index.html
URL:http://keihanna-park.net/guide/saganaka-momen/
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