江戸のあかり

山本均さんが収集されている江戸時代のあかりを中心としたコレクションを紹介します。

さまざまな江戸のあかり
江戸のあかり

さまざまな江戸のあかり」写真と解説のページへ

山本均さんが収集されている江戸時代のあかりを中心としたコレクションを紹介しています。

知識の世界を広げるコレクション (山本 均さん談)

山本均さん(67)がお勤めの株式会社きんでん京都研究所を訪問しお話を伺った。山本さんは居合道教士七段の腕前。きんでんは「日本全国のあかりを灯す」ことを主な業務としている。


山本 均さん

「江戸のあかり」に興味をもったのは、もちろん「きんでん」に勤めていることもありますが、子どもの頃、少年漫画で江戸時代の人々がたったひとつのあかりで生活しているのをみて、そんな生活はどんなんだろうと思っていました。そんな好奇心が出発点です。

ホテルの部屋って暗いでしょう?会社の同僚で照明の設計を担当した者に聞くと、ヨーロッパ人は昔あなぐらで暮していて、あまり明るいよりも暗い方が落ち着くので、ホテルの照明はそうなっているんだということでした。日本の部屋は開けっ放しで逆に明るい。そんなことも面白いと思いました。

コレクションの最初のきっかけとなったのは奈良の安堵村(あんどむら)(現生駒郡安堵町)の灯心です。安堵村は江戸時代、藺草(いぐさ)の産地で藺草から灯心をつくっていました。安堵村で灯心をもとめ、茶席のあかりとして実際に灯心を使っているのも見せていただき、はじめて「日本のあかり」にふれたという実感がありました。このことが「江戸のあかり」を自分で集めてみようと思ったきっかけです。

様々な「江戸のあかり」を集めていくうちに、「あかり」が日本人の所作、特に座る生活にとても深く関わっていることに気づきました。当時の日本人は座る生活が多いので、灯火を蹴飛ばすことも少ない、灯火の発展にそんなことが関わっているのです。「江戸のあかり」は高いところを照らすよりも足元を照らすのが基本になっています。お茶やお酒も湯呑や杯を目の前でやりとりするのではなく、膝の下に置いて注ぎます。灯火は頭の肩先くらいで燃えていて、下の方を明るくします。最近の時代劇を見ていると、杯を自分の目に前にもってきていますが、あれは電燈のあかり以降の所作です。昔は箱膳を一番照らすようにしていたと思うのです。そんなことがわかってきて、ますます「江戸のあかり」をコレクションすることが面白くなってきました。

この伝統を今でも忠実に残しているのは本格的な茶席です。江戸時代の灯火類をそのまま使っています。お茶は「おもてなし」の文化ですが、この「おもてなし」にも「あかり」が深く関係しています。灯火に使う菜種油、これはとても高価なんですが、灯心の本数を増やして油もたくさん使いながら炎を大きく明るくすることが、特別なお客に対する「目にみえるおもてなし」になるわけです。

油にも関心が広がってきました。

日本はあかりに「菜種油」を使うのに対し、欧米はランプのあかりとして「鯨油(げいゆ)」を使います。幕末にペリーが日本に来航しますが、あれは捕鯨船で鯨を加工するための水と薪(まき)を求めて来たのです。鯨は深海に潜るので「鯨油」は固まらず、低温でもさらさらしていて、精密機械の潤滑油(機械油)として珍重されていました。「鯨油」は肉を炊いて採るのですが、頭の中にある油をそのまま最高級の油として利用したのです。ちなみに石油の単位はガロンですが、これはもともと捕鯨船の船上で鯨油を貯蔵した樽の大きさからきています。このように歴史と関連づけて考えていくのも楽しみのひとつです。

「菜種油」は固まる油でペンキや絵具の材料になっていますが、固まらない性質をもった油が「椿油」です。「菜種油」は燃える油として使われますが、「椿油」は固まらないので刃物の錆止めや整髪料に使われています。
固まる「菜種油」や「胡麻油」と固まらない「椿油」を日本人はきちんと区別して生活に応用していました。ちなみに桐の木から採れる「桐油」は固まる性質が一番強くて、昔は和傘や雨合羽などに塗って使っていました。防水の効果があるのです。

インドネシア原産の香木から採れる香油である丁子(ちょうじ)を「椿油」に混ぜて作ったのが「丁子油」です。丁子は腐敗を防ぐ性質をもっていて、医療の世界で使われています。歯痛を止める効果もあるので、「今治水」の成分にもなっています。油はものを溶かす性質がありますから、日本では漆の原液を薄めるのにも使われてきました。松脂から採れる「テレピン油」です。「テレピン油」は油絵の絵具を溶かしたり、筆を洗ったりするのにも使われています。

このようにありとあらゆるところで油は使われています。こうした様々な油をその特性を見極めながら楽しんできたのも日本人の特徴だと言えます。

出前授業
同僚の興梠さんと行っている「あかり」の出前授業の様子

あかりから油の世界へ。このように知識の世界が広がっていくことがコレクションの一番の魅力です。それがあまりにも面白いので、若い人にも知ってもらいたいという気持ちが強くなって、小学生を対象とした「出前授業」などにも積極的に協力したいと思っているのです。そのとき一番説得力があるのはやはり実物で、コレクションが役だっています。

油の基礎知識 (山本 均)

鉱物油

原油から精製過程で油脂と揮発油ができます。油脂は粘性があり潤滑油やワックス、塗料の基材となり、揮発油は燃料や溶剤となります。

古くから潤滑剤に使用されたものにスピンドル油があります。軽い機械の軸受けや精密歯車の潤滑用油です。戦場では戦車や大砲、小銃の手入れ油として使用されました。軍刀の手入れも丁子油不足でやむを得ずスピンドル油が使われました。現在は発ガン物質を除去した新スピンドル油が流通しています。

化学合成されたものにシリコンがあります。滑らかで撥水作用があり無色無臭です。流動パラフィン同様食品業界はじめ工業界のあらゆる場所で使われる万能油です。精製度が高いため添加剤としての役割を果たします。

精製度の高いシリコンや流動パラフィンは刃物の錆止油として優れています。市販されている刀油はこれら精製油を原料としているようです。

植物油、鯨油

良質な鉱物油がなかった時代は鯨油が主流でした。冷たい深海でも固まらない頭部の油は特に貴重で蒸気機関をはじめ産業機械の潤滑油や灯油として大量に使用されました。欧米諸国は鯨油を採るためにだけ鯨を乱獲したのです。

菜種、桐、ゴマ、椿、オリーブを絞った油が植物油の代表的なものです。オリーブ油と椿油以外は乾燥する油です。乾燥油は油絵の具やペンキ類の基材となります。桐油は防水用に合羽や傘に塗ります。菜種油やゴマ油は松脂に混ぜて加熱しクスネという接着材を作ります。弓の弦に練りこんで強化させるのです。「手ぐすねを引く」と言う語は戦闘前に武器や手にクスネを塗る様を表したものです。ゴマや菜種油は漆を塗った後の刷毛を洗浄するのに利用し、漆の混じりこんだ油は大工が床下の根太に塗り、強力な防腐剤として活用しました。油の乾燥とともに漆も乾燥するのです。これを椿油で行うといつまでたっても漆は乾燥しません。刀剣や機械の手入れは不乾燥油である椿油が最も適します。木製品の乾燥が防げるのは不乾燥性だからです。

欧米ではオリーブ油や魚油を使い、産業革命期に鯨油が主流となりました。船上で釜炊きをし、鯨油を樽詰めにするため水と薪の補給が欠かせなかったのです。ペリーの来航目的のひとつに捕鯨基地構築があったのは明白です。

刀剣界の現状

最近博物館の若い学芸員は刀剣の手入れにシリコンや流動パラフィンを使っています。また刀剣手入れ油から丁子の表現が消えつつあります。刀剣油や刀剣手入れ油と表示したものは無色無臭で自然由来の丁子を含んでいないからです。主成分の公開は製造者の責任ですが全ての刀剣油が成分非公開であり、利用者から疑問の声も出ないのが不思議です。

丁子を知る世代は60歳以上でしょうか。昭和40年末頃から刀剣界でシリコンやパラフィン、スピンドルといった石油系手入れ油を有力刀剣商が推奨しだしたたことが丁子油の衰退を招いたものと思います。

商品に丁子油と表示しているものでもその成分は公開されず、鉱物油ではあっても、ブランドとしての「丁子」を惰性として使用している事例もあります。純椿油に丁子の精油を混合したものが本来の丁子油です。丁子特有の匂いが現代人には不快と感じるのか、手入れ油の無臭化はここ20年間で定着してしまいました。刀剣の手入れから寛永以来続いた丁子の匂いが消えることは武士の様式美が消えることです。手入れの時だけに香る丁子油のはかなさは桜を愛でる心に通じるものがあります。丁子の芳香で心が落ちつき、感情が高ぶった果ての不毛の果し合いを思い止どまった若武者もいたのではないでしょうか。

当初、香る薬油として髪油や化粧下、ニキビの治療や歯痛薬として庶民に浸透した丁子油が刀剣に応用された経緯はよく分かりません。丁子の主成分であるオイゲノールは酸化を遅らせる効果があるため、椿油の劣化を防ぎ、錆止め効果もあることに気づいていたのかも知れません。

丁子油の基礎知識 (山本 均)

刀剣を趣味とすることは当時の人物や歴史の舞台に触れることができ、幅広い知識を身につける機会も多くなる。

我々が普段何気なく使っている手入れ油も古い時代は何を使っていたのかと想像することは刀をより理解するうえで大切なことである。今まで丁子油や手入油として流通している油の素材についてあまり語られることはなかった。

油の種類は植物油、動物油、鉱物油の三種類に大別される。植物油の代表格は椿油であり乾燥しない性質を持つ。ゴマ油、菜種油、桐油などは乾燥する油で防水や塗料の基材として利用された。接着剤のくすねは松脂に乾燥するゴマや菜種の油を添加することによる効果が現れる。乾燥しない椿油は古くなると拭き取ることが容易なため、刀剣の錆止めや髪油として最適である。奈良時代には中国の使者が帰国時に椿油を欲しがったというほど手入れ油として高く評価されていた。

動物油のうち鯨油は欧米の産業革命期に灯油や機械油に使用された。鯨は深海に潜るため油が凍らない特性があり工業用に需要が高まり、乱獲されたのである。牛脂や豚脂も防水用として銃器の薬包に塗られた。インドセポイの大反乱は牛を神聖視するヒンズー教徒や豚を忌避するイスラム教徒が牛や豚の油脂が塗られた薬包の使用を強制した英国政府への反感がきっかけとなった。

鉱物油は石油の精製過程からピッチ、マシン油、パラフィン等が得られる。高純度の精製では薬品や化粧品にも使用され工業用から生活用まで幅広く利用されている。鉱物油ではないが近年、人工高分子化合物であるシリコンが潤滑剤や撥水剤として広く普及している。

手入れ油の現状

油は精製度が高いほど無色無臭であり、流動性が高い。現在普及している手入れ油は植物油の丁子油と鉱物油である手入れ油の2種に大別できる。鉱物油は無色無臭で安価なため普及度が高く、丁子油や椿油の愛用者は一家言持つ方が多い。シリコンは安価なため手入れの頻度が高い博物館でも使用している。

丁子油の名称は権威があり、原料の如何を問わず手入れ油を丁子油と称する扱い方がされてきた。では丁子油とはそもそもいかなるものなのか。

丁子油の出現は寛永年間にさかのぼる。丁子はインドネシアのモルッカ諸島原産の香薬である。つぼみが釘の形をしているので丁子、丁香と呼ぶ。主成分はオイゲノールで抗酸化作用と抗菌、鎮静、痛み止め、胃痛に効能があり甘い香りがする。スパイスとして食用にも利用した。丁子は正倉院に伝世している。

戦国大名は南方貿易でジャコウ、龍脳、伽羅、沈香、白檀、丁香を求めた。朱印船の海図にはモルッカ島を丁香山と明記し、英国やオランダと並んでスパイス争奪戦に参加したことがうかがえる。当時英蘭の大船団は南方のスパイスを独占することで莫大な利益を得ると同時に香りの文化をヨーロッパにもたらしたのである。当時の先進国は香りを楽しみ、薬効を分析し医学を発展させたが、それはわが国も同じであった。

長崎奉行牛込忠左衛門はこれら香薬の精油輸入による銀の流出を憂い、通詞6名に丁子を含む10種の香薬を精油化する技術を和蘭人から習得させた。これが水蒸気蒸留法による精油国産化の始まりであった。

泉州堺で始まった丁子油の製造は一子相伝が守られ、幕末には6軒が独占的に丁子油を製造販売していた。一番古い家が瑞碩を祖とする岡村家であるが丁字油の製法は今もって明らかにされていない。

丁子油の広告には「きりきず・痔・歯痛・火傷・ヒビあかぎれ・婦人の顔に塗る・媚薬・ほうそう・髪に毛を黒くする・熱病・風邪・その他」と多くの効能をあげ、庶民にも普及していた。泉州佐野は廻船業を営む「飯」と「唐金屋」の本拠地であり諸国物産を集積する蔵屋敷があった関係で、薬種の供給が容易であった。泉州佐野から堺まで6里と近く紀州街道を徒歩半日の距離である。
当初薬用や化粧用であった丁子油が刀剣の手入れ用になった前後は不明であるが、次のことが推測できる。

匂いを楽しむことのほか、実用品としての薬効と防錆効果が武士の必携品であることにふさわしいということである。武士は当時のインテリであり秀吉、家康が愛して止まなかった香薬への愛着もあったろうし、切り傷の治療や痛み止めに対処できること、大切な差し料を清浄に保て、手入れ時に冷静になれる等の安心感もあったことだろう。

日本刀は単なる工業製品ではない。シリコンで空気を遮断し、錆を防ぐという行為が手入れというならば寂しい限りである。

丁子油は椿油と丁子の精油を混合したものであろうことは容易に想像できる。

製法はさておき、刀剣業界が手入れ油に理解を示し、本来の手入れ法を啓蒙することは業界発展と無関係ではないと信ずる次第である。

士族と丁子油 (山本 均)

生活様式の変化で植物由来の手入れ油は鉱物系にとって代わり、江戸時代に「きりきず・痔・歯痛・火傷・ヒビあかぎれ・婦人の化粧下・媚薬・ほうそう・髪の毛を黒くする・熱病・風邪・その他」に効能があるとして普及した丁子油ですが、昭和の中ごろにほとんど姿を消しました。現在では刀剣手入れ油用に丁子の名が使用されているにすぎません。

本来の丁子油は椿油と丁子の精油を混合した物で丁子に含まれる多量の抗酸化性のオイゲノールを含んでいます。手肌に優しくかつ消毒効果があり、刀剣手入れのほか、髪の手入れにも適します。丁子油で手入れした刃物で怪我をしても傷が悪化しないので安心です。古来丁子は魔よけとして扱われ、中国では貴人に拝謁する時には丁子の蕾を口中に含む使い方がされていました。

インドネシア原産の丁子は最高のスパイスとして時の支配者を魅了し、長くその場所は秘密とされていたのです。日本では正倉院に香薬物として伝来しています。薬効として鎮静、麻酔、覇気、滅菌、防カビ効果があり、にきびや歯痛の特効薬でした。歯痛薬の「今治水」には丁子油が添加されています。麻酔作用があることから華岡青洲も手術後に丁子油を引いた油紙を患部にあて、包帯をしたのではないかと思います。

丁子油は古い油を溶かし汚れを落としてくれます。戦前の古鍔手入れ法は丁子油に漬け込み、拭うことでした。現在この方法が否定されているのは、本物の丁子油がないからです。鉱物油での手入れは伝統のよさを否定し地鉄の色を変えてしまうからです。丁子油は汚れた象嵌もきれいになります。竹刀や防具の手入れに丁子油を使用するとカビを防ぐ事も可能です。武士は刀だけでなく髪や肌を丁子油で清潔にしていたのです。

江戸時代の生糸を始め諸国の物産は下級士族が担い手でした。隅ずみまで配慮の行き届いた物つくりの原点は武士道の実践者である下級士族たちによって確立されたのです。商人達も高品質にこだわる武士たちの姿勢を高く評価しました。明治の近代化で武士の職場は工場に移りました。人口の5%、180万人が電機、繊維,鉱工業、造船などに従事し、工場労働者の6割以上を士族が占めていました。明治維新により日本はアジアで唯一の近代国家になりましたが武士道の反骨心、努力・克己心、勤勉蓄財、家族主義がその遠因にあったことは間違いの無いところです。

下級士族は貧しいながらも刀剣や甲冑を維持管理し、国家の一大事に備えました。貴重な丁子油を爪楊枝ですくい、刀身に垂らして手入れをし、拭った後の紙で槍の柄や弓を手入れしたのです。身は貧しくとも丁子の香りは貴人の香りであることを誇りとし、生涯を送りました。

華岡青洲の手術道具、火縄銃、和時計、丁子油に研磨剤を添加して漆の研磨をする等、手入れ油は多岐に渡り使用されていました。職人仕事で負う軽い怪我などは丁子油で治し、仕事の手を休めませんでした。滅菌と鎮静効果が仕事の能率に寄与したことでしょう。

山本安とは先祖、油商山本安右衛門の屋号です。泉州堺は江戸時代の蔵物の集積地でした。米は北浜、蔵物は泉州佐野で相場が立ちました。舶来品の丁子も佐野から諸国に流通していきました。

丁子の精油は油脂ではなく蒸留法により抽出した精油です。精油に抗酸化作用はありますが、被膜力が弱く錆止効果は高くありません。多くの薬効を含む抽出液です。堺の岡村家が幕府官許のもと、製法を現在まで秘密にしてきたため、流通に乗ることなく一部刀剣界にのみ生き残ったのが現状です。

油商の子孫として優れた手入れ油を普及させたいと願って作ったのがこの丁子油です。50年以上前は刀剣店に入ると丁子のいい匂いがしていたものです。以来この正体を突き止めるのが趣味となり、椿油と精油の混合物であることは間違いないことですが、調合比率は不明のままです。私は精油1に対し椿油9が黄金率と信じています。

刃物をはじめ美術品の手入れから鉱物油を駆逐し、植物油による手入れを復活させることが私の夢です。精製度の低い鉱物油は硫黄化合物が残り、鉄を黒く変色させますし,火縄銃の木部や槍の柄に本来使われていなかった鉱物油が染み込み、変質させることに心が痛みます。

佐野の近くに紀州根来があります。当家は江戸初期に根来から佐野に移り、油商となりました。灯火用以外に荷車や水車の車軸、火縄銃の手入れに油は不可欠でありましたが、火薬や火縄とともに薬用や手入れ油として丁子油をどのように携行したのでしょうか。興味が尽きません。一説に真綿や紙に油を染み込ませ貝殻に入れて携行したとも言われます。

丁子油のしおり (山本 均)

泉州佐野山本安から販売されている丁子油のしおりとして書いたものです。

丁子油のしおり

丁子油

丁子はインドネシア原産の常緑樹で、つぼみは甘い芳香を発し、抗酸化性ポリフェノールをはじめ多くの薬効成分を含みます。精製された丁香は鎮静や麻酔、防虫、防カビ効果があり、医療用や食用スパイス、儀礼用として古くから利用されてきました。戦国末期より朱印船の海図には原産地のモルッカ島を丁香山と呼び国内需要をまかなうために盛んな交易をしていました。

寛永の頃、長崎奉行牛込忠左衛門は香薬輸入による銀の流出を防ぐため、6名の通詞に丁子を含む10種の香薬原料の精油化を命じ、国産化に成功しました。(水蒸気蒸留法)

椿油に丁子の精油を添加した丁子油は、植物エキスの生命力が豊富で、錆止、鎮静、化粧用として最高の条件を備えることになりました。丁子油は薬用油として庶民生活に浸透するとともに、刀剣手入れの必需品となりました。

しかし、昭和の中ごろより安価な鉱物性手入れ油が普及し刀剣の手入れも油膜で空気を遮断する味気ないものになりました。

戦国武将が追い求めた香りの本品が、豊かな刀剣文化醸成の一助になれば幸いです。

使用法
  • 油は消耗品です。瓶を振り、刀身に油を数滴落として拭き取ってください。古油も取れます。
  • 刀身に余分な油を残すと鞘を傷め、発錆の原因になります。
  • 丁子油は鍔などの鉄製品のほか、木刀や弓、尺八の手入れにも適し、潤いを保ちます。
  • 遮光瓶は油の劣化を予防します。無添加純粋の食用椿油を使用しています。

販売者 山本安右衛門(泉州佐野山本安) 連絡先 090-6963-3184

探してみよう


関連サイト

けいはんな小さな博物館

このサイトは、けいはんなグリーンイノベーションフォーラムの活動の一環として運営しています。

お問い合わせ

けいはんな地区の個人や小さなグループのコレクションなどの情報をお寄せください。

けいはんな小さな博物館 事務局
hello@keihanna-smallmuseum.site